就活は「嘘つき」が勝つのか
就活で嘘をつきたくない。
これが今のところの私のポリシーだ。
なので「楽しく働けそうか」「やりたいことがやれそうか」が会社を選ぶ上での軸となっている。
ESが通過して、ついに初めて一次面接に進むことになった。(コロナのせいでWeb面接になった。ありがたい。)
私はまだ本選考における面接を受けたことがなくて、わからない事だらけで焦っていた。
タイミング良く開催された大学の模擬面接に参加してきた。
教育に関わる会社を想定していたのもあり、学業意外で力を入れたことは何かと聞かれて、私は塾で英語を指導していたことと答えた。
しゃべったことを全部書いても長くて自慢ぽくてウザいだけだと思うのでまとめていうと、「志望校合格のためにできる限りの全力のサポートをしました」と伝えた。
「その子は志望校に合格したのか」と聞かれた。
「センター試験の英語の点が倍になるくらいには伸びたが、志望校には受からなかった」
と答えた。 事実そのままである。
模擬面接終了後、面接官から貰ったアトバイスは「教えていた生徒さんは、第一志望の大学に合格したことにしよう」だった。
嘘も方便
面接官側から嘘をつくことを推奨されたのがすごくショックだった。
そりゃ、その子が第一志望に進学できたら、「私の努力が合格に繋がりました」っていう最高のストーリーになってたよ。私だって受かって欲しかった。受験生のくせに家で勉強しないし塾でも自習しない大問題児だったんだ、私はよく頑張ったと思う。
「体育会系が就活に強いのは、学生のうちにミニ社会を体験しているからだ」という話を聞いたことがある。
私の経験してきたことだってミニ社会体験に含まれるのではないだろうか。努力したけど上手くいかないことなんて、社会に出たら沢山ある。
なくせに、「うまくいかなかったけど自分の課題を知れた」「やる気があってもかなわないこともあると知った」は頑張ったことに含めてもらえないのか。
自己PRとは、必ずしも成功体験でなければならないのか。
だとすれば塾講師をやっていた大学生なんて、テキトーにやってたって受験生見たことなくたって9割「生徒を第一志望の学校に合格させました」っていうんじゃねえか?
そもそも現実に「学生時代に力を入れてきた」と胸を張って言えることがある大学生がどれくらいいるだろうか。
教科書買わずに授業を受ける。出席せずにプリントを友人に確保させてテストを乗り越える。カンニングする。楽単で卒業単位を満たす。バイトは嫌になったらサボるし、無断でやめる。名ばかりのサークルで毎週飲み会。
そこそこ頭のいい人達が集まる大学に進めたと思っていたけれど、周りにはこれらが当たり前のように生きている学生がたくさんいる。大学なんてどこもそんなものなんだろうか。尊敬出来る人たちにも出会えたけれど、圧倒的に前者の方が多い。私自身も、思い通りに授業が履修できなかったことや、他人と自分を比べて自尊心を海底二万マイルにおいてきてしまって自暴自棄になっていた頃もあった。なんとか今は取り戻したが。
「何もかも正直であることが絶対の正義」などとは思っていない
人生、嘘でうまくやっていけることって正直めちゃくちゃ多い。
ここまで書いておいてなんだが、何だかんだ嘘でうまく生きてきた人達への妬みでもある。真の真面目にはなれない私の、楽しく生きてる他者へ対する妬みだ。
堂々と嘘をついて演じきることが出来ないのは、もしかしたらただバカ正直すぎる私の弱さなのかもしれない。
嘘で就活を乗り切れるのも、ある意味才能なのかもしれない。
かもしれないけれど、
まずは「ありのままの私」が今までやってきたことをどんな言葉で伝えれば、自己PRとして使えるのか、よく考えてみようと思う。
「嘘か誠かの前にてめえの伝え方が下手なんだよ!」「面接準備足りなすぎ」「口だけじゃんばーか!」というお叱りはご最もである。まずは他人に文句言う前に深く自分と向き合わねば。
嘘をつくは、それでもダメだった時にしたい。